今の委員の前提のお話を聞かないと答えの意味が分かりませんので、それは本当に説明をしていただいてありがたいことだったと思います。答えだけ聞いても何のことだか分かりませんので、前提をきちんと御説明いただいて、本当に厚く御礼を申し上げます。
要は、私はバランス・オブ・パワーだと思っているのです。力が均衡しているとき、どっちが勝つか負けるか分からないねというときは、人類の経験則上、戦は起こりにくいということで、これはもう多分かなり真理を含んでいるんだろうと思っています。
アメリカとソ連が二超大国として核兵器を持ってにらみ合っていたときは、軍事の力が完全にパリティーでしたから、やっても勝つか負けるか分からぬ、お互いに核ミサイルを撃ち合うとお互いが滅びちゃうのでやめておきましょうね、これが冷戦時代の本質だったということでございますが。
そのソ連がぱったり倒れました、アメリカ一極支配になりました、世界は平和になりましたか、ちっともなりませんでした。二極構造の下で封印されていた領土、宗教、民族、経済間格差、こういう戦のネタがわっと表に出てきたというのが冷戦後の社会で、そこへテロが組み合わさってきて、よく分からない世界になりましたねという時代に我々は生きていたんだけれども。
じゃ、まさか国連常任理事国が隣の国を侵略すると誰が思いましたか。誰も思っていなかったが、それが現実のものとして起こっている、三年間、終わらない。
じゃ、仮にウクライナがNATOに入っていたとしたら、ロシアはウクライナを侵略しただろうか。それはしなかったでしょう。仮に、ブダペスト・メモランダムというのがあって、ウクライナが核をロシアに移譲しなかったら、ロシアはウクライナを攻めただろうか。みんなイフの世界なんだけれども、いろいろな国の首脳と話してみると、それはそうだろうねという話になるわけで。
そうなってくると、今ヨーロッパ、ウクライナで起こっていることは明日のアジアかもしれないと考えたときに、NATOに入っていたらああはならなかったよねと。じゃ、この地域において我々はどうなの、国ではないが、台湾はどうなのという話は、それは考えておかないと無責任なんだろうと私は思っているのです。何かがあったときに、ああしておけばよかった、こうしておけばよかったというのは、それは国をお預かりする者として正しい態度だと私は思っていません。
委員御指摘のように、まだアジアはそんなに成熟していない、その議論は二十五年前に聞きました。成熟していないこのアジアでそんなことができるか。二十五年たちました。今でもそんな議論でいいんでしょうかということ。
そして、アメリカの力は相対的に落ちている。アメリカはあのときからハブ・アンド・スポークからネットワーク型へというふうに言っていたわけで、相対的に落ちていくアメリカの力を、どこがどう補って力の均衡を維持するかということは、これは軍事を考える上において極めて当たり前の話であって、考えない方がよほどおかしいということだと思います。
そのときにおいて、じゃ、日本においてそれが可能なのか、憲法解釈上そんなことができるのか、そういうことを積み上げていかねばならないのであって、最初から駄目とかそういうことに決めつけるのを思考停止というのだと私は思っています。
我が党は、ですから今、政調の下で、どうなんだろうか、そういうことはと。憲法上どうなんだろうか、能力上どうなんだろうか、バランス・オブ・パワーの理論においてどうなんだろう、そういうことを一つ一つ精緻に積み上げて、国会における議論に供するということで、その中心に議員がおられると私は認識をしておるところでございます。